大英帝国の女性旅行家、イザベラ・バード著『日本奥地紀行』の装丁のイラストタッチと似ている『逝きし世の面影』。出版社はどちらも平凡社。
『逝きし世の面影』を手にとり、ぱっと開いたページで手の子と言う文字が目に飛び込んできました。
イザベラ・バードの記事を引用しています。当時の東北地方の農民の肖像画も。
そこにはこのような描写が。
”山形の手の子という村の駅舎では、「家の女たちは私(イザベラ・バード)が暑がっているのを見てしとやかに扇をとりだし、まるまる一時間も私を煽いでくれた。代金を尋ねるといらないと言い、何も受けとろうとしなかった。・・・・・・・・・・それだけではなく、彼女らは一包みのお菓子を差し出し、主人は扇に自分の名を書いて、私が受けとるよう言ってきかなかった。私は英国製のピンをいくつかしか彼らにやれないのが悲しかった。・・・・私は彼らに、日本のことを覚えている限りかぎりあなたたちを忘れることはないと心から告げて、彼らの親切にひどく心うたれながら出発した”
手の子という村は現在では飯豊町手ノ子地区を指します。めしゆたかファームがある椿地区の隣りの地区。
イザベラ・バードが旅した明治初期と現在とでは、何もかも異なり比することはできないですが、東京から来た私も、土着の方々の親切心に常日頃接しています。
イザベラ・バード の言葉に同調したのは、私も手ノ子出身の方に大変良くして頂き、お昼や夕食に天丼、おむすびと焼き魚などを届けてくれ、その親切心に感謝しています。
150年ほど前に異国の地を旅した異国の方が感じた思いを、同じ土地で私が実体験で現在進行形で感じている。不思議な感じです。
時代は変われど、他所者でも誠心誠意地元の方々へ接していると、その土地の人々も親切に返して頂ける、置賜に限らず、逝きし世の面影は日本全国津々浦々、現代も連綿と続いているんだなと改めて感じとりました。今も昔も人々の営みが続くかぎり。
イザベラ・バードが愛した置賜は、人情味溢れる自然豊かな素敵なところです。